どうしてが多い世の中には

私が考えていること

引き寄せの法則が叶ったところで思う事

引き寄せの法則、スピリチュアル、シークレットなど
興味がない人からすれば胡散臭い言葉
熱心な人からすれば、心地のいい言葉
最近、本屋さんでも結構なコーナーを占めてきたと思う

私は引き寄せの法則が大好きである
理由は、かなりの面倒くさがりで楽して毎日過ごしたい、思うだけで願いが叶えばそりゃ楽ですわ
と思った次第である

おかげさまで、なんだかんだ叶った

過去の私が苦しんでいた時、すがるような思いで手帳に書きなぐっていた
「ストレスフリーな生活が送れますように」
「したい時にしたい事ができる日々を送る」

仕事を辞め、横浜に来た
生活面も何とでもなり、時間は有り余る日々だ

あの辛い思いをしていた時の私が願った生活を、今の私は送っている

今はどうだか
したい時にしたい事をする
この贅沢な願いはしたい事がある人の特権だ

平日会社員、休日は遊んでの毎日を過ごしていた私に
いきなり自由な時間ができても持て余してしまうだけだった。

この事実はかなりの衝撃であった。

望みが叶っても虚しい思いをするなんて、考えた事もなかった

今思えば、平日ヒィヒィ仕事して、休日に映画を見る生活が嫌ではなかった
だけど、このままでいいのかって思いはずっとあった

このままでいいのか
平日は仕事をし、休日は遊んで
ルーティンのままでいいのか
理不尽な上司に一言も返せず、家で反省をし、日曜の午後4時頃に死にたくなるような日々を送っていきたいのか

いろんな思いでつかんだ自由は、今現在持て余している

馬鹿みたいな事に、寂しいからという理由でまた仕事を始めようかとも考えた

今後どうなるかわからない

せっかくの今を自分と見つめるきっかけにしたいと思った

気になる事があれば、引き寄せればいいだけの話

自分の欲求は何か、
自分としっかり向き合うよりも
仕事をしてそれだけ考えている方がずっと楽だと気付いた

考えて仕事をしてこなかったのもあるだろうが…

辛くても孤独でも問い続けなければ

1人では生きていけないと書いたが、1人の時間を最大限に生かしたいと
そう思う

何が書きたかったのかしら…

そう、引き寄せたところで、叶った自分は何がしたいのかを考えないと
持て余しちゃうぞという事でした
私の経験談、お恥ずかしい限り